被災地の現状
2013/01/18 by D.N
2011年3月11日に発生した東日本大震災。あれから間もなく2年が経とうとしております。
震災の時に大津波の被害を受けた陸前高田と大船渡で、
今も被災者の支援を続けている団体の取材をして来ました。
皆さん、覚えていますか?あの日のことを。
私は縁あって、震災から1年毎に、被害の大きかった土地を訪問し、
そこで暮らす人々、そして活動する人たちの取材を行なっています。
前回の訪問から1年。
街がどれだけ復興しているのか?
人々は日常を取り戻しているのか?
それが今回の訪問の一番の楽しみでした。
しかし、陸前高田の街を通った時、 その光景に愕然としました。
作業をされている方も身を削って作業をされてるのだとは思います。
しかし、素人目には、ほとんど変わっていないように見える。
震災から1年で、陸前高田の瓦礫の山が分別されていました。
そして2年で、瓦礫の山の上に土が被っていました。
しかし、街は、以前と変わらず広大な平野が広がるばかり。
そして、鉄骨むき出しの建物。
そして被害者の方々を弔う祭壇。
何もかもあの頃のまま。
時が止まってるように感じられました。
街が復興していくことの大変さを感じました。
そして、もちろん仮設住宅で暮らす方々の生活も
向上し日常生活を取り戻しているなんて事はありませんでした。
震災の心労と慣れない仮設住宅での暮らし、不健康な食生活。。。
悪条件が重なり、体調を崩し、
脳卒中などの病気で倒れ、亡くなる方も増えているといいます。
そして将来への希望を持てずに、
自ら命を断つ人も少なくないそうです。
被災地の方は言いました。
「何が絆だ!絆などクソ食らえ」だと!
よく、大震災で絆が強まったというが、
地震のおかげで、家族を失い、生きている家族も離散し、
「被災地の絆はバラバラだ!」と
「絆が強くなるどころか絆は薄まっている」と。
ある被災者は言いました。
「みんなに迷惑をかけて、なんの為に生きているのか」と。
「今、生きていって、なんになるのだ」と。
「流されてしまえば良かった」と。
あの大震災から奇跡的に生き延びた方も、
未来に希望を持てずに仮設住宅で、 ただ、ひたすら死を待つ生活をしていました。
皆さん、思い出してください。
震災への記憶、気持ちは段々、薄れていってしまいますが、
まだまだ復興は終わっていません。
忘れないでください。
今も被災した方は苦しい生活を続けているのです。
今回、取材した団体の代表が話してくださいました。
「一時的ではなく、末永く支援を続けていくことが大事」だと。
そして、
「末永く支援を続けていくために、決してムリをしないこと」
「自分にできる事をやればいい」と
「自分たちも出来る範囲で支援を続けている」のだと
僕も今回の訪問で、今一度、気持ちを引き締め、
自分ができることをやっていこうと思います。
ですから皆さんも震災への思いを思い出し、
自分の出来る事をやっていっていただければと切に願います。